Wednesday, February 18, 2009

野球教室


昨年末の忙しいときに我SH.TIGERSの紅白戦ををして1年を締めくくった。昨年は56試合という驚異的な試合数をこなした我チーム。(草野球では過去130試合をこなした、たけし軍団が伝説です。)私は15試合ぐらいしか参加できませんでしたが。。その最終紅白戦で特別コーチの元読売巨人軍「後藤孝志」氏が来てくれました。年に2回ぐらい忙しい時間を割いてきてくれます。そこで私の甥っ子とその友達を連れて行き、野球教室を開いてくれました。彼らに丁寧に教えててくれて、きっといい経験といい思い出になったはずです。プロ野球選手と触れ合う機会なんてなかなかないからね。氏は非常に明るく私たちにもたくさんコーチをしていただき、現役時代同様に非常に熱い方です。その「後藤孝志」氏、TOKYO GUTSという野球教室も開催しています。詳しくはHPで。//我チームでも#00の氏。タイガースも似合うよね。さすがユニフォーム似合います。

TOKYO GUTS baseball school: http://www.tokyo-guts.jp/

後藤 孝志(ごとう こうじ、1969年5月14日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手。本名及び1992年までの登録名は後藤 孝次(-こうじ)。守備位置は内野手(三塁手・一塁手)及び外野手で、現役時代は内外野どこでも守れるユーティリティープレイヤーとして重宝された。兄は元愛知・豊田大谷高校野球部監督で現在は山梨・富士学苑高等学校野球部監督の後藤篤。

小学校では捕手として近藤真市とバッテリーを組んだ。中京高校で1987年に甲子園大会に出場。高校通算33本塁打。同年のドラフト2位で読売ジャイアンツに入団。しばらくは二軍生活が続いたが、1991年に一軍初出場。1995年からは吉村禎章、福王昭仁に次ぐ左の代打として起用される様になり、一軍に定着した。1999年には自己最多の112試合に出場し、ガッツ溢れる勝負強い打撃以外にも守備も定評があり、内外野どこでも守れたため重宝された。2002年には、西武ライオンズとの日本シリーズ第4戦で松坂大輔からダメ押しとなるタイムリー三塁打を放ち、チームの日本一に大きく貢献した。松坂からはオープン戦でホームランを打っており、相性が良かった。2003年は9回に数多く起用され決勝本塁打や同点タイムリーを放つなど活躍し、「ミスター9回」または「9回の男」の異名が付いた。2005年には堀内恒夫監督の構想から完全に外れて戦力外通告を受け現役引退。最終戦の引退試合出場に留まった。復帰したばかりの原辰徳監督の勧めもあり、2006年にはニューヨーク・ヤンキース、ヤンキース傘下1Aのタンパ・ヤンキースにコーチ留学した。
2007年、北信越BCリーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの初代監督に就任したが、チームは最下位に終わる。いったんは来年も続投と伝えられたが、11月8日に「球団運営方針についての考え方の相違」を理由に来季の契約を結ばないことが球団から発表された。
2008年からは、J SPORTS野球解説者かたわら、幼児を中心とした野球スクール「TOKYO GUTS」を設立し子供達に野球を伝えている。コーチ陣には巨人時代の同僚である原俊介(2006年引退)や十川孝富(2007年引退)らがいる。